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仮想世界は現実世界を踏み越えるべきではない:AKB48 峯岸みなみさんのYouTube映像

「私が嫌いになっても,AKBは嫌いにならないで下さい」

AKB48 前田敦子の有名な台詞である。初めて聞いたとき,その意味がわからなかった。AKB総選挙なるものがあることを知って,この台詞が語られたときの状況を知って,初めて言わんとすることを理解した。ドキリとさせられる,危うさをはらんだ台詞である。自分に対してネガティブな印象を持つファンを明に認め,それでもいいから,自分が属する組織(=仲間)はお守り下さいと言う。組織とそれに属する個人の関係は常に微妙である。組織あっての個人か,個人あっての組織か。

AKB48のコンセプトはおそらく,会いに行けるアイドル,遠い存在ではないアイドル,一般人が住む環境と連続性をもつアイドル,である。ファンも巻き込んだ一つのシステムとなっていて,その中に,ファンがアイドルを育成するという「ファンタジー=仮想世界」が作り込まれている。冒頭の前田敦子の台詞は,そんなAKB48システムの本質を短く印象的な言葉で言い表している。おそらく,予め作り込まれたものではなく,本人の日頃の思いが,AKB総選挙という高揚的な場で吐露されたものであろう。

仮想世界はあくまでも仮想世界であって,現実世界を踏み越えてはならない。前田敦子の上記台詞はそのギリギリの境界線上にあると私は感じる。

そして私が思うに,2013/1/31に公開されたAKB48 峯岸みなみのYouTube AKB48公式チャンネルでの映像は,超えるべきでない境界線を踏み越えてしまっている。峯岸みなみはおそらく,周りに指示されて坊主になったわけではなく,また,この映像もAKB48組織運営側の指示で撮ったものではないだろう。いずれも本人の志願,希望によるものと推察される。

我々の日本文化は,男が反省の証として頭を丸めるという文化をおそらく持っている。しかし女性の場合は全く違う。そんな文化はない。あるとすれば,出家して尼寺に行くときだ。

周りが求めたわけでもないだろうに,なぜ本人はこんなことをしたのか。AKB48という組織を離れたくないからだ。本人にとってAKB48という組織がとても大きな存在になっていて,そこを離れるということは考えられない,何よりも代え難い,ということで頭が一杯になっている。だから女性にとって命の次に大切と入っても良いかもしれない髪を差し出すことによって,組織からはずすことだけはお許し下さいと申し出た。本人をそこまで追い詰めさせてしまった。

仮に,何かの犯罪か,社会に迷惑を掛けるようなことをして,心からお詫びしたいと考え,よくよく考えた上での一つの謝罪行為としてこのような映像を公開するならば,話は別である。それは現実世界の中での事だからだ。

しかし今回の一件は違う。年頃の女性の恋愛禁止という組織の中の掟,「ファンタジー=仮想世界」の中での掟をやぶったけれど許して下さい,その証として坊主になりました,という仮想世界を踏み越えた,現実世界での出来事だ。異常なことなのである。

最後に私が言いたいことをまとめよう。

・恋愛禁止なる掟を「ファンタジー=仮想世界」の中で作るのならば,「安全弁」を用意しておくべきだ。年頃の男女が,恋愛をすることはとても自然で,健康的なことだ。人類の繁栄のために必要なことですらある。恋愛をすることは決して悪ではない,恋愛をしたくなったら,無理をしないで,無理のない気持ちで組織を離れられるような道を作っておくべきだ。

・仮に本人が,「頭が空白になって」,「誰にも相談せず,自分の判断で」坊主になったとしても,それをわざわざ,組織の公式動画として公開することはない。「アイドル育成ファンタジー」だからといってすべてを公開して,コンテンツ化すべきではない。あの映像はコンテンツとして,あまりに無防備すぎる。若い人を暖かく,守ってあげるべきだ。

・若い人達をあれだけの数,マネージメントすることは大変なことで,苦労も多いであろう。ビジネス上頑張らねばならないという面もあるであろう。しかし,基本的人権を守る,という最低限の一線は守らねばならない。

・あのYouTube映像は,世界に配信されている。世界の人が見たときどう思うだろうか?日本のアイドル文化やポップミュージック文化は,世界に冠たる水準の,オリジナリティ溢れるものと私は思っている。リスペクトを持って好んでくれる海外の人も多い。その人達にとって,あの映像はどう映るだろう。ショッキングな映像だ。何だ,そういうことだったのかと。時を同じくして,日本の日本代表の女子柔道監督の暴力告発問題が露見した。たとえ獲得する金メダルは少なくなっても,日本柔道というものにリスペクトを払う世界の柔道関係者,愛好者は多いはずだ。いずれの場合も,日本の「財産」ともいうべきものに水を差すようなことは慎むべきだ。