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いつでも夢を:時代の確かな記憶

カラオケに行くと予期せぬ収穫に出会うことがあります。最近の収穫の一つが「いつでも夢を」。よく知られた,橋幸夫と吉永小百合によるデュエット曲。昭和を代表する曲の一つと言われる曲。調べてみたら,奇しくも私が生まれた昭和37年,1962年の曲でした。今年が50年目。私もこの曲も,50周年を迎えた事になります。

ふと思い付いてこの曲をカラオケで歌ってみました。カラオケ映像(第一興商,Live DAM Gold Edition)が素晴らしい。発表翌年の昭和38年に同名の映画が作成されたらしいのですが,そこからの映像が編集されて使われています。

検索してみたらYouTubeに,私が見たものに非常に近いものがみつかりました。

(私が第一興商のカラオケで見た映像は,上記のYouTube映像とちょっと違っています。私が見た映像では,吉永小百合が強い怒りを見せ,それがふっと笑顔に変わる見事なシーンが挿入されていました。)

懐かしい「昭和」が見事に映像化されていて,歌いながら背中がぞくぞくしました。橋幸夫は昭和を代表する歌の名人の1人。昔はよく,物真似芸人がネタにしていて,我々が子供の頃,それをさらに真似していました。歌っているとそんな記憶まで蘇ります。橋幸夫になり切りたいと思いながら,多くの日本人を魅了してきた吉永小百合を見入る。確かに素晴らしい。不世出の女優であることはやはり間違いない。おそらくは,日本人が理想とする女性像が見事に演じられている。

映像が作る世界観。私はこの映画を観たことがありません。ストーリもまだ知りません。でもこのわずか数分のカラオケ映像から,その世界観をうかがい知ることが出来ます。高度成長時代の日本。今日よりも明日がよくなるという希望に満ちた日本。不満はいろいろあるけれど,希望はあることを心底信じて疑わない日本。未来という言葉,21世紀という言葉が光り輝いていた日本。

12月5日,中村勘三郎(享年57歳)が亡くなりました。その彼のために,劇作家・演出家の野田秀樹が,その全力を傾けて書いたのではないかと思われる追悼文が日本経済新聞12月9日号(有料オンライン版)に掲載されています。
「富士 紅葉 名残の月に 中村勘三郎さんを悼む」(野田秀樹,2012/12/9付,有料会員版)

その中にこんな一節があります。

 力が抜けたように息をつきながら、あいつほど「日本人」という言葉が似合う男もいない。そう思った。
 たぶんそれは、我々が歌舞伎に見る幻想でもある。「日本人」とは、その昔こうだったんだよ。こういう人だったんだよと、そう描く理想の日本人の姿。たとえば、悪しき力と闘い、市井の人々には心優しい。義理人情に厚く、忠義を守る、喧嘩(けんか)っ早くて涙もろく、苦労を自ら背負って、それでいながら底抜けに明るい。

 だがこれは、すべて古い「日本人」の物語であり、歌舞伎の舞台の上だけの話だ。架空の話、絵空事。そう思っていた。ところがどっこい、そんな日本人が今なお本当に生きている、それが中村勘三郎だった。

歌舞伎の舞台の上だけの話と書かれていますが,そんなことはないでしょう。おそらく野田はそれをわかって書いている。美化されているのかもしれないけれど,日本人が心の中に描く,日本人の伝統的な姿。いや日本だけではない,世界の他の国々でもこういう理想像を心の中に思っているはずです。だって,海外の映画やドラマでも,よくそういう人間像が描かれていますから。上記の短い,カラオケ映像からもそんな人間像,世界観が窺われます。

未来はバラ色のはずだった。未来はバラ色だという希望のもとに,実際には厳しい現実の中,昭和の人々はこの映像のように,瞳を輝かせて明るく生きてきた。

そう,よく考えてみれば,厳しい現実は今も昔も変わらない。いや,今も厳しいかもしれないが,昔はもっと厳しかった。違いはおそらく「夢」。いつでも夢を。

最後に,橋幸夫と吉永小百合のデュエット映像。二人のたたずまい,視線の行方,ステージマナー,初々しく,胸を打たれます。時代の確かな記憶。