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アンドロイド上のJavaを巡るオラクルとグーグルの攻防

アンドロイド上のJavaを巡る,オラクル vs. グーグルの訴訟は,いろいろと考えさせられます。そのきっかけになったのは,丸山不二夫先生のFacebook記事「OracleとGoogleの訴訟の新しい展開」

驚くほど分かりやすく作られた冒頭陳述スライド

陪審員法廷で使われたと思われる両者のスライドが下記に公開されていて,その内容は一般庶民(=陪審員+一般世論)にもアピールするよう,ややこしい問題を分かりやすく説明しています。ただし,それぞれの立場からの主観的アピールも入れて。

大御所の計算機科学者も巻き込んで

この問題に関して,ネット上で情報を収集していて発見し,おやっと思ったのが下記の記事。
Oracle and Google continue sparring over APIs (CNET)
オラクル側にスタンフォード大学プログラミング言語部門のジョン・ミッチェル教授が付いている。米国の(そして世界の)プログラミング言語研究界の大御所の一人。話題になっているrange checkのコード9行を見つけ出したのはミッチェル教授らしい。1500万行中の1ファイル,924行中の9行を見つけ出すとはさすが。(何かツールを使ったのでしょうね)

ベンダー側のビジネス的観点に立って考えてみると,Javaには相当のお金をつぎ込んでいるので,どこかでお金を回収する道を見出しておく必要があったのではないでしょうか。お金を取るべきでないところからは取らないで,取るべき所からとる。お金が動かないところからは取らないで,お金が動くところから取る。お金が動いているところとして,スマホ・ビジネスはいかにもあり得そうとは思います。

サンマイクロも,早くにドコモ携帯にiアプリという形で入れるのに成功し,どういう契約だったかは知りませんが,Javaのソフトウェアライセンスか,あるいは,サーバービジネスで稼いでいたと思われます。

オープンソース

しかし,丸山不二夫先生のFB記事「OracleとGoogleの訴訟の新しい展開 3 -- オープンソースとしてのJava」でも指摘されているように,2006年11月に「SunはすべてのJavaスタック―-ME, SE, そして EE--をオープンソース化する」(日経ITpro, 2006/11/13)という戦略に「方向転換」した。想像するに,恐らくこの頃はまだオラクルによる買収話はなく(両者の買収合意は2009年4月),サンは苦しい台所事情の下,打開策を探る中でのアプローチと思われます。本当にGPLオープンソースであれば,今回のような訴訟にはならないはずで,なぜオープンソース公開しながら,今回の様な訴訟がになるのか,私もまだ理解ができていない部分です。

陪審制度について

今回のOracle vs. Googleの冒頭陳述スライドを読むと,一般庶民である陪審員へのアピールを強く念頭において作成されていることに気付きます。IT分野においては大変に重要な問題を,陪審員(=ごく少数の一般庶民)の「なるほど!」で審理してしまってよいものかと私も思いますが,これこそが陪審員性の本質的一面なのかもしれません。

ヨーロッパや日本のような,「秩序」を重んじる,歴史ある国では,裁判審理は,真理を追究するプロ集団(=この場合は法曹界,歴史的には日本で言うところの「お上」)によって,誤謬なきよう行われることが前提になっています。「幻想」かもしれないが,ベストは尽くそうというシステム。米国は,そういう「権威」に基づく伝統を打ち破ることを建国の理念としている。陪審制は,その象徴性のような気がします。しかし,プロ集団の判断にも実は限界があることをプロ集団自身も認めていて,日本も刑事裁判には裁判員制を取り入れました。

今回の案件も,ちょっと変,と思う一方で,こういうことをオープンに議論することによって叩き上げられる米国流文化に凄みも感じます。国際交渉力,国際戦略,グローバリゼーションの展開等で,米国の大きな「文化的インフラ」となっているような気も致します。